若狭の歴史
若狭町には脇袋区の膳部山の麓に、5世紀あたりに有力者(王)がいたことが古墳群からも示されています。
北陸最古級の人物・動物埴輪や全国でも例のない形状の朝顔型埴輪が発掘されたり、円墳や、方墳、前方後円墳までバリエーションある古墳が脇袋区の西塚古墳を中心にそこかしこに点在しています。
さらには有力勢力だったことを示すような、金製耳飾り、鏡、金銅整帯金具、馬具、大陸の製品なども副葬品として発見されています。
朝鮮半島から大和朝廷に遣いを送る送られるルートに、3〜4世紀当初は日本海から丹後を拠点として形成されたいた道が、5〜6世紀には若狭から琵琶湖ルートに切り替わるなど、その時の権力の趨勢も反映するほどの有力者だったようです。
御食国と言われ、膳臣(かしわでのおみ)という、朝廷の食事に関わる係がこの若狭にいたとのこと。歴史にもゆかりのある場所でノスタルジーをなんとなくかんじられることを想像すると、重宝された地域であったこともわかります。
若狭町にある古墳群
脇袋区は6〜10のエリアを示します。西の小浜市には一級河川の北川伝いに20kmほど。その港に大陸からの遣いや海産物の運搬者が使うルートがあったようで、琵琶湖に抜ける要衝だったことが↑の航空写真からもわかるのではないでしょうか。
古墳と早朝
晩秋の朝、ふと目を覚ましてカーテンを開けると、若狭町の上中地区(町の南部)は雲海の中にすっぽりと包まれてしまう時間が発生します。朝日が昇るまでの束の間の時間ですが、とても幽玄で静寂な世界があります。
私が若狭町に住んでみて、最も好きな景色の一つ。
1500年以上も昔の人々が確かに住んでいた場所をちょっと想像するだけでも、何か特別な空間にいることを知らせてくれます。
まとめ
若狭町にある歴史的価値のある古墳群について少し触れさせていただきました。
大和朝廷、そして奈良時代へと続く若狭と奈良との関係性を感じさせるものが今も現存しています。教科書では習わないものの、古墳〜奈良時代を支える人たちが若狭に存在したことを示すこの古墳群は、その場に立ってみて初めて実感と想像に到達できるような感じがしました。
お出かけの際には、こうした古墳群もあることを念頭に置きつつ、若狭まで足を運んでいただければと思います。
悠久の歴史に想いをはせることもまた、生きる豊かさを想起させてくれる時間になると感じています。
Today is the first day of the rest of my life.
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