果てしない欲求の連続の20代
20代。就職氷河期(超がついていた気がします)の2000年初頭に就職活動を始め、内定を得て会社員生活をスタートさせました。
当時私が入社したのは、米国に本社を持つグローバルヘルスケアカンパニーのファーマシューティカル日本法人部門。
外資系を選んだ理由は、給与を若いうちの頑張りで反映させることができる点。将来の社会保障制度に危惧を持っていたこと、年功序列式だと吸収力の高くてアクティブに行動できる若い時期に、仮に成績を残したとしても、給与に反映されづらいことを嫌気したところが主な背景です。
当時は、まだ転職がそこまで当たり前ではなく、慎重でかつ社会的風潮や機運も水面化の動きのような日本でした。
学生時代にアメリカでホームステイを経験した時、ホストファーザーのAdrian(当時27歳)のSOHOでの仕事スタイルや彼の働き方に影響を受けたところがあります。
彼の考え方は、自らの成長を促し、企業や自分の興した会社で全力で仕事に打ち込み、他の人には得られない、あるいは得られても時間のかかるスキルや経験を早期に手に入れ、企業や取引先と渡り合っていく。結果、社内評価UPや転職を通じてサラリーは上がり、自分の望むような未来を描くポテンシャルを広げ続けることができる、というマインド。
日本では当時まだインターネットでピザを発注できなかったのですが、アメリカではピザはネット注文が当たり前。スタバもロードサイドでドライブスルーでテイクアウトができるのが当然。日本はこれからこうしたアメリカの当たり前が輸入される時代が来ると信じていたので、Adrianの考え方も日本で近いうちに自然となっていると考えました。
そうした背景をもって、鼻息の荒い闘牛のように、血気盛んな20代社会人生活がスタートしたのです。
20代後半で結婚しましたが、ただひたすらに自分の市場価値を高めるために、仕事漬けの毎日。独身時代は基本、自宅を出るのが7時過ぎ、帰ってくるのは午前様。結婚後もベースはさほど変わらず、ただ、帰る時間は21時までを目指し、帰宅後もPCを触って日報を入力していました。
これを続けることは家計を十分に支え、家族に経済的に困らない生活を提供し続けられる、結果、家族も自分も幸せでいられるだろうと妄信していた時代です。
ただ、こうした仕事漬けの夫/父は、ひと昔こそ許されるところだったかもしれませんが、時代は変わり、人の心も変わり、それでは真の幸せは巡ってこないことを30代になって気づき始めたのでした。
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Today is the first day of the rest of my life.
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