しあわせを感じるひと時
「しあわせ」だと感じる瞬間は人それぞれお持ちだと思います。
私は自分以外の人からほんの少しの優しさをお裾分けしていただけるだけで、心に花が咲くようなパッと明るく笑顔になれる気がします。
それは「ありがとう」とセットでもあるような気がしています。
つまり、しあわせは自分一人で作り出すものではなくて、誰かと何かのタイミングに突然現れたり、創り出したりしているものなのかもしれませんね。
お互い様とおかげさま
職場で仕事に打ち込みすぎて疲れが溜まっている時に、ふと同僚からいただく差し入れのお菓子だったり、知人からいつもお世話になっているからと自家製のお野菜を分けていただいたり。
お互い様で、おかげさま。
その中に、いつも「ありがとう」があるように思います。
営業現場でバリバリ働いていた時、実績のマネジメントと部下の育成やサポートで頭がいっぱいになっていた時がありました。
そのような時は、おかげさま、ありがとう、がどこかに影を潜めてしまって、ただ目標を達成することに一生懸命で、心が置き去りになっていたこともあります。
そうした時に、しっぺ返しはやってくるもので。
ある時、チームの実績は伸び悩み、目標に未達が続いていて苦しい時期がありました。実績を上げるために、チームメンバーのそれぞれと同行して、細かく観察して問題点や課題の整理を行い、どうやったらそれをクリアできるのか、そして実績につながるのかを部下とそれぞれ話し合う時間が長く続きました。
しかし、それが続いたことで多少の実績向上はありましたが、大きな変化まではいかず、むしろ、部下の離反だったり、お互いがお互いを信用できなくなってしまうようなことがあったのです。
結局振り返ってみれば、そこに足りなかった要素は、お互い様で、おかげさま。いつもありがとう、の気持ちを伝えられていたかどうか、のように思います。
あの時は、何が足りなかったのかわからず、辛かった・・・
気付かされ、理解したありがとうの言葉の大切さ
いま、関西から若狭に移住してみてわかったこと。
人と人の距離感が近くて、お互いを知り合っていることが若狭ではごく自然。
土地柄でもあるのか、人の良さが皆さんから滲み出ていて、お互い様で、おかげさまを思うことがたくさんあります。
住まう人それぞれが優しさを持ち寄り、お互いに助け合ったり、気遣ったり。
そんな生き方に窮屈さを覚える方も一定数いらっしゃるとは思います。
反面、窮屈ではなく温かく感じられることもあるでしょう。
ちょっとしたことですが、ありがとう、を伝える機会が多いですね。
先日も、お米を分けていただいて、ミニトマトのお裾分けをいただきました。
甘くて、エコな農法で育てられており、作られている農家さんのお人柄も表れているような優しさのあるトマト。
ちょっとしたことかもしれませんが
どこでもある生活上の一コマですね。
こうしたやり取りの中で、ありがとうを伝えられ、しあわせを分けていただいている。トマトを口にして、豊かな気持ちにさせていただく。
プレッシャーとストレス、やるべきことに毎日押し迫られていた数年前に比べると、心が穏やかでおかげさまを自然と感じさせていただきます。
取るに足らないことかもしれませんが、こうしたささやかな一場面でしあわせに感じられるって素晴らしいですね。
朝から晩まで見えない圧力の中でビジネスをしてきた頃とは大きく違う時間です。
人と人とのつながりの中で与えられるしあわせをできるなら、いつまでも少しずつでも感じ続けられる生活がミドルエイジになって大切だと実感しています。
時には働き方を見直してみられては。
優しさが溢れる若狭にお越しになってみられると良いかもです。
Today is the first day of the rest of my life.